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2つの重要な海、地中海と紅海

エジプト、ファラオの時代(第1~2王朝)。

ナイル川の出口にあたるのが地中海で、これを古代エジプト人は「こちらの海」と呼んでいました。
一方、紅海のほうは「南の海」と呼んでおり、どちらもエジプト人にとっては重要な海でした。

地中海側のレバノンには、その国旗にも描かれているように、「杉の木」がありました。杉の木材は造船資材に必要とされたのです。ナイル川の植物”パピルス”を編んで造る船よりも強い木造の船を造ることで、さらに遠くの海へ出られるようになるからです。
※第3~6王朝のピラミッド時代には、既にレバノン杉を材料とし、日本大工のようなはめこみ工法と特殊な紐締めで船が造られていたそうです

また、紅海側には「プントの宝」と呼ばれる、金や香料、珍獣、象牙、貴重な木などがありました。プントというのは今でいうソマリアあたりとされています。(※様々な説があるようです)エジプトには無い珍しい物資が多かったので、商人たちは喜びました。

このように、地中海と紅海は古代エジプト人にとって宝の山だったのです。

おまけ~重要な地、スエズに作った「王子の城」

スエズ運河で有名なスエズですが、古代からエジプトにとって重要な位置づけでした。それはまさに、スエズが地中海と紅海を結ぶ地にあるからです。また、アフリカとアジアをつなぐ境界線にも位置するからです。

輝かしい第12王朝の時代。
エジプトは、東から潜入するアジア人と、西から侵略するリビア人を警戒するため、スエズ地峡方面を独立行政区とし、防衛司令官を任命・配置しました。そして「王子の城」という防衛施設を作り、特にアジア人に対して王子の威力を知らしめようとしました。

王子の城は部隊を備えた大型監視所であり、入国検査や入国許可も行っていました。場所は今でいうスエズ運河のエルカンタラにあったそうです。スエズに作られた人工物としては、この「王子の城」が史上初ではないでしょうか。エジプトを守るための重要な砦だったのですね。

【参考】『スエズ運河<新潮選書>』酒井傳六 (1976)

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