船には慣習的にshe(her)が使われてきた
英語で船のことを指すときに代名詞「she(her)」を使うことがあります。
英語では無生物に対しては基本的には「it」を使いますが、例外として「船」「国」といった単語は「she(her)」で置き換えることがあります。
実際、船関係の人と英語で話していると「そろそろ”彼女”(特定の船のこと)はイギリスを出発したかな」のように自然にsheを使っていました。「船はshe、女性なんだよ」と欧州の方から教えられたこともあります。
タイタニック号事故の新聞記事でも、このようにsheやherが使われていました。
The Titanic started her trip from Southampton for New York on Wednesday. Late on Sunday night she struck an iceberg off the Grand Banks of Newfoundland. タイタニック号は水曜、サウザンプトンからニューヨークに向けて航海を始めた。日曜の夜遅く、彼女(タイタニック号)はニューファンドランドのグランドバンク沖で氷山の被害を受けた。
なぜ船には女性代名詞she(her)が使われてきたのか
これには諸説ありますが、個人的にもっともらしいと思った2点を書きます。
船を女性とみなす慣習
危険が多かった”かつて”の航海では、船は自分たちを守ってくれる保護的存在、暖かく包み込んでくれる愛すべき存在であり、女神や聖母などに例えられてきました。これはカトリックなどの宗教的な結びつきとも関係があるのかもしれません。
新大陸発見のコロンブスの船も「サンタ・マリア号」という名前で、聖母マリアをイメージしていました。
日本でも、母なる大地、母国、などと言うように、自分たちのベースとなる大きな存在は母に例える傾向がありますね。
言語的な背景
もう一つには、船を表す単語「ship」の言語的な背景があるとも取れます。
英語は、人々の侵略や移住・時代背景などによってさまざまな言語が入りまじり、変化してきて今があります。
「ship」の語源はオランダ語のschipとドイツ語のshiffの影響を受けた「scip」(中性名詞)とされていますが、11世紀以降イングランドがノルマン人に支配されると、フランスの文化・政治が浸透していき、英語もラテン系フランス語の影響を大きく受けました。ラテン語で船は「Navis」(女性名詞)、そこから派生したであろう古フランス語では「Nef」(女性名詞)で、いずれも女性名詞です。
船を女性として扱う習慣は11世紀以降の中英語からとされているので、この古フランス語の影響のなごりと考えられるかもしれません。
ただ、他にも女性名詞の文法性の影響を受けた単語はあれどすべてをsheと呼ぶわけではないことを考えると、やはり船を擬人化して考えていた要素も見過ごせないと思います。きっと色々な要因が入り混じって、船を女性とみなすようになったのでしょう。
現代において船にshe(her)を使うと古いのか
慣習的に船はshe(her)で置き換えられてきましたが、現代においては「it」が使われることもあり、その慣習は少しずつ変わってきています。
では現代において、船をshe(her)と呼ぶと古臭い感じになるのでしょうか?個人的な見解になりますが、使う場所・状況によって古い/古くないが分かれると思います。
肌感覚としては、船の現場に近ければ近いほどshe(her)はよく使い、現場から遠い、または船の業界に限らず多くの人の目・耳に触れる場所ではshe(her)は古い、というイメージです。
実際には、
船の乗組員が自分の船のことを指すときや、乗客が何度も乗っているお気に入りのクルーズ客船のことを指すとき、造船所のワーカーが建造中の船を指すとき、伝統的な文化を受け継ぐイギリス海軍内などはshe(her)を今でもよく使います。いずれも船に対して愛着を持っている状況ですね。
一方、新聞やニュースなどの広く人々に知れ渡るメディアや、ビジネス界などでは「it」を使っています。こういった世界では淡々と正しい情報を伝えることが大切で、「she」を使うと内容以外の感情(船の擬人化要素)が入ってきてしまって少々ものがたり的な印象です。
また、無生物を男性や女性に擬人化すること自体が差別的で時代錯誤とされる傾向もあります。ジェンダーニュートラルを目指す社会の変化に対応するためにも、やはり多くの人の目・耳に触れる場所ではshe(her)は避けたほうがよいのでしょう。
というわけで、一概にshe(her)を使うのが古いというわけではなく、相手や状況に応じてうまく使い分ければよいでしょう。
参考:
– 『Why Do Ships Have A Gender?』Imperial War Museums
– Old French Keyword Dictionary
– Wikipedia「英語史」